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『東京ビーフシチュー物語』

 シチューの名前が日本で初めて出てきたのは、明治4年に東京の九段(現在の千代田区富士見町)にあった西洋料理店『南海亭』の品書きに『シチウ 牛、鳥うまに 二匁五分五リン』と書かれていたものが最初である。翌年明治5年には、仮名垣魯文『西洋料理通』にも、牛肉、豚肉、トマトなどを用いたシチューが紹介されている。レストランのメニューとして普及したのは明治の中頃からで、明治37年には、日本帝国海軍の食事として『煮込み』の名でシチューが供されている。

 元々シチューは、16世紀後半から17世紀前半のフランスが発祥の地とされている。イギリス海軍がシチューに使う牛乳の日持ちがしないことから、インドのスパイスを入れてカレー味のビーフシチューを作ったのが大日本帝国海軍に伝わり、カレーライスとなった。だから、カレーライスはビーフシチューが作れず、仕方なくできた産物なのである。また、いまや日本料理と信じて疑いようのない『肉じゃが』も海軍由来の料理で、その元となったのがイギリスのビーフシチューであるらしい。イギリスに留学していた東郷平八郎がビーフシチューを気に入り、帰国後に海軍の食事として採り入れようと考える。当時日本にドゥミグラスソースはなく、赤ワインも貴重品であったため、調理を命じられた料理長が東郷平八郎からの伝聞を元に、日本にある醤油、砂糖、酒などの調味料を使って完成したのが肉じゃがであると言われている。だから、肉じゃがもビーフシチューが作れずに仕方なく出来た産物なのである。

 日本でのビーフシチューの作り方は様々であるが、小麦粉とバターを炒めて作るブラウンソース(ソース・エスパニョール、ソース・ブリュンヌともいう)を用いたり、牛肉とタマネギ、ニンジンなどの野菜をブイヨン(またはフォン・ド・ボー)で長時間煮込み、トマトピューレ、赤ワイン、ドゥミグラスソースなどで調味している。ドゥミグラスソース(sauce demi-glace)とは、西洋料理の基本的なソースのひとつで、黒に近い褐色をしている。フランス語でドゥミ (demi-) は半分、グラス (glace) は通常は氷という意味だが、料理の名前に使ったときは『煮こごり』とか『煮詰める』という意味になり、ドゥミグラスソースとはすなわち煮詰めた濃厚なソースという意味である。1900年代初頭にフランス料理のシェフが使い始めたと言われている。エスコフィエの時代である。

 東京のビーフシチュー名店を4軒回ってみた。

1軒目『銀座 銀之塔』

 歌舞伎座の裏手にある蔵を改築した和風造りのお店である。11時半の開店と同時に満席となる。ビーフシチューのほかに和惣菜の小鉢2品とご飯、お新香がつき、どうみてもこれは和食としてのカテゴリーである。肉は厚み1センチくらいのバラ肉で、脂身がトロトロになっていて、スープには小麦粉的なとろみがある。土鍋に入れられたシチューは、アツアツを超えて煮えたぎったグラグラ状態で供される。肉をご飯に載せてかき込むのが旨い。独特の和風を感じさせる風味は、どうせなら締めにご飯やパスタ麺を残ったソースにドバっと入れたりしたくなるような、シチューというよりまさに鍋に近い存在である。このお店はシチューのほかはグラタンしかない超排他的なこだわりのメニュー構成となっている。

 

2軒目『根岸 レストラン香味屋(かみや)』

 創業は大正14年、なんと95年の老舗である。お昼の1時頃に到着したが満席で、2回転目の空きを待つ。この店のシチューは皿盛りとなっていて、肉にソースが適度に絡まっているというお上品なタイプとなり、見た目は赤ワイン煮込みに近い様相となっている。ソースが少ないので、スプーンではすくいづらく、パンにつけて食べてみる。上品で滑らかな舌触りのドゥミグラスソースは、この店の二代目が洋食を提供しはじめて以来、継ぎ足しながら守り続けている。ホロホロになった黒毛和牛の大きなスジ肉の塊は脂身が少なく、肉感を存分に楽しめる。下町の住宅街にある店だが、高級洋食店に属する。

 

3軒目『浅草 洋食屋ヨシカミ』

 浅草六区で昭和26年開業。『旨すぎて申し訳ないス!』のキャッチコピーで有名である。店に着くと、外にまでたくさんのお客さんが溢れている。待つのは嫌だなと思ったが、ドアを開けて店員に名前を告げると15分くらいで入れるというので安心した。一人客にはカウンターが用意されている。ソースはトロみがあり、深くコクのある味わい。大きな国産のバラ肉の塊がゴロゴロ入っており、肉の旨みといい、しっとりホロホロした柔らかさといい、どれをとっても完璧としか言いようがない。これは私にとっては最高と言ってもいいビーフシチューである。並んででも入る理由がわかる逸品であった。ああ、名古屋にあれば毎日でも食べたい。なぜ名古屋の洋食屋にはビーフシチューのある店が少ないのであろうか。トンカツかエビフライかハンバーグばかりである。

 

4軒目『浅草 グリル佐久良(さくら)』

 昭和42年創業。浅草寺裏手を北上し、いわゆる裏浅草とか観音裏とかいわれる静かなエリアにある。とても浅草チックな、ノスタルジック満載のお店である。場末のスナックのようなカウンターが8席と、テーブル席2つだけの小さな造り。BGMでは80年代のユーミンがリフレインを叫んでいる。長年ご主人と女将さんが二人でお店を切り盛りしてきたが、ご主人が病気でなくなり、今は孫である若い娘さんがシェフをしている。シチューには、ボリュームたっぷりの肉が入っていて、トロトロだけど形がしっかりある。肉の味も深い。創業から継ぎ足しで使われているドゥミグラスソースは、充分なコクがあり、仕上げにバターかマーガリン?がモンテされているのか、心地よい乳製品の香りとコクがある。これも正統派ビーフシチューに間違いない。浅草恐るべしである。

   和食の料理人も洋食の料理人もカレーをよく作りたがる。それで普通にメニューに載せたりして、『締めにどうぞ』と書いてあるけれど大抵はさほど美味しくない。どんな凄腕のシェフでも、カレーが超絶美味いというのを聞いたことがない。あれは自己満足の世界だ。カレー専門店でさえも『そこそこ美味い店』はあるが、『超絶美味い店』というのは聞いたことがないのはなぜか。また、繊細な料理を食べたあとにカレーを食べればスパイスの強い風味ですべてが台無しになる。どうせ煮込むのなら、なぜビーフシチューを作らないのだろうかと思うのだが。

銀の塔

香味屋

ヨシカミ

佐久良