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『ミシュランのばかやろう!』

 二十代の頃、一人でフランスを旅したことがある。赤く分厚い本『ミシュラン』を抱えて。訪れたフランスのローヌ地方・アルルはフランスというよりも古代ローマの街であり、円形闘技場などの古代遺跡が多数ある。また、美人の街として知られ、道行く人が悉くみんな美人だ。

 私は夕食をとろうと、この街で唯一ミシュランに記載されているレストランに向かった。ミシュランのレストラン評価は星1つから星3つで評価される事が知られているが、店名が記載されただけの星のないレストランでもかなり評価が高い。このレストランはそういった星のない店である。

 レストランに足を踏み入れると黒服のギャルソンが、予約もせずにいきなり現れた若い東洋人をごく普通に笑顔で迎え入れてくれた。中規模程度の店内にはギャルソンが数名おり、この小さなアルルの街にしては大きなレストランなのが推察される。フランス人の夕食は8時や9時頃から始まるらしいので、まだ6時という時間は私以外に客は誰もいなかった。

 席に案内されグラスワインと料理を注文する。ちなみに私はフランス語のメニューは大抵読める。料理は、メインに『Medaillon de veau sauce Roquefort(メダル型に切った仔牛のロックフォールチーズのソース)』を注文する。実はこの仔牛のロックフォールソースは、以前から食べたかったものであった。しかしながら、当時の日本のフレンチレストランで仔牛を提供する店は非常に少なかったし、肉には大抵赤ワインやマディラソースばかりであったのでお目にかかることがなかった。本場フランスの地で初めて味わったロックフォールソースは想像以上の旨さで、その後私の愛するソースの一つとなる。

 メイン料理を食べ終えて、デザートを注文する。

『sorbet s'il vous plaît(シャーベットを下さい)』

『Oui.fraise,framboise……(はい、いちご、きいちご……)』

までは聞き取れたがそのあと何種類か言われたものがわからず困った顔をしていると、少し離れたところから別のギャルソン(あるいはメートル・ド・テル(給仕長))が足早に颯爽とやってきて、私に英語で説明してくれたのである。たぶん何かあったらすぐにフォローしようと思ってたんだろう。星がついていない店でさえこのクオリティなのである。

 先日東海地方にもミシュランが発刊された。今回だけではなく日本で発売されているミシュランは、私が知っているミシュランとは全く違う本だと思っている。まず、ミシュランの三ツ星はグランメゾンでなければならなかったはずである。例えば雑居ビルで他店とトイレを共有するような小さな寿司屋が三ツ星になることは絶対にありえない。また、料理の味を中心に評価されるが、料理だけではなく店の造り、雰囲気、衛生管理、サービスの完璧性(電話予約の態度から始まる)などで評価されるべきものであり、それが故に店の各部署の従業員全員がミシュランに掲載されている事に誇りを持って店の運営にあたっている。従って、ラーメン屋やたこ焼き屋などがミシュランに掲載される事自体、日本のミシュランは商業主義に走った別物であり、ミシュランの権威を失墜させる『ミシュランのばかやろう!』なのである。