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『お祭りが怖いヨー』

 夏祭り、秋祭りとお祭りが続く季節となった。お神輿や山車などがでて、伝統的なお祭りが催されている地域も多くあろう。残念ながら私が住む地区では、かつては方々で盆踊りが行われたりはしたものの、今は少子化だからなのか、愉しみにしていた老人が軒並み死んでしまったからなのか、それともお金が集まらないのか、ここ10年くらい一切行われていない。昔はお盆が近づくと町中の年寄りが丸山神社に集まり盆踊りの練習に勤しんでいたものだった。盆踊りの当日は子供にはお菓子がもらえる。我が家は当時商売をしていたので多額の寄付金をほとんど強制的に供出させられており、お菓子はその寄付金の中から購入されたものであったので、親は「もったいないからお菓子をもらってこい」と言うが、何しろ私はお菓子を全く食べない子供であったので、いつも妹にお菓子券を託して、私自身盆踊りには一切行かなかった。私は美味くもない駄菓子に釣られて喜んで出かけはしない。ましてや盆踊りなどという人前で恥をさらけ出して踊るなんてアホなことはできないと考えるクールな少年であったのだ。

 近所の盆踊りにはほとんど屋台が来ることはない。マイナーすぎるからである。寄付金目当ての近所の怪しい酒屋がジュースを配るくらいだ。しかしながら、大きなお祭りには屋台がつきものである。子供の頃の記憶といえば、焼きそば、お好み焼き、たこ焼き、イカ焼きくらいしか思い出せないが、今は酒を呑むようになったせいか、焼き鳥、やきとん、牛串、おでん、もつ煮、唐揚げなど酒のつまみばかりに目が行く。歩いていると香りに誘われ、根こそぎ全部食べてみたくなってしまう……ところが……私は屋台の食べ物を買うことが全く出来ない。食べたくて買いたくて屋台の前まで行き、財布からお金を出してはみたものの、そこから体が硬直してしまって、注文できなくなってしまうのである。

 なぜ屋台の食べ物が注文できないのか?それは私が飲食店の子供に生まれた悲しき性にある。幼い頃に家族でお祭りに何度か行ったことがある。寺社の参道に並ぶ屋台からは、強烈に美味しい香りが漂っている。子供の私は当然「食べたいヨー」と親に言う。その時親が発した言葉はいつも、

「あのねー、屋台の食べ物は汚いから食べちゃダメだ」

 結局私は大人になった今も屋台では一切買うことができなくなってしまったのだ。毎年、仲田祭りや今池祭りが行われ、お友達が多数出店しているが、何も食べず、何も呑まずに一周して帰ってしまう。どうしても買うことができない。これは完全に病気であると思っている。ところがこの病気は屋台だけではなかったのだ。

 実は、『私は飲食店以外の他人が作ったものが食べられない』のである。大学で東京に出てきた時は、自炊、外食、学食(社食)なので問題はなかった。最初の危機は、彼女が出来てご飯を作ってあげると言われた時である。ところが、彼女の作る食事はなぜか問題なく食べられる。次の危機が、彼女の家でごちそうになるとき、彼女の母親の手料理は全く食べられない。自分の親戚の家の食事も食べられないのに食べられるはずもなく、無理矢理口に押し込んで大量の水で飲み込んだ。その後、結婚してからは、今度は自分の母親の料理に抵抗感が生まれてしまう。最近は、妻が仕事を始めたことで食事を作らなくなったので、時々作る妻の料理が食べられない。また、講座に手料理を持って来てくれる方がいらっしゃって、とてもありがたいのであるが、私自身は全く食べられない。もうここまで来ると衛生とか全く関係ない、完全なる病気である。