先日豊洲市場見学に行ってきた。無駄に広すぎるのではと思える敷地に、清潔だがしかし無機質な市場内は、大学時代築地でアルバイトをしていた私にとってはとても違和感のあるものだった。
私は大学を卒業後飲食の道に進むことを決めていたが、その際に相談にのってくれていた人が、当時プリンスホテルの名物総料理長だった方である。私のええころ加減な考え方に厳しく叱咤激励をしてくれた。「お前は今一体何をしているんだ。築地市場を見たことがあるのか?今できる勉強を最大限することが必要ではないのか?」
私は翌日に築地市場内での練物屋のバイトを見つけた。魚屋でないのは早朝出勤が無理だったから。この練物屋は夜12時から朝8時までという勤務であり、終電に乗って東京駅に着き、歩いてキラキラ輝く夜の銀座を経由して、深夜のまだ誰もいないネズミがチューチュー行き交う静寂な築地市場に到着する。そこから軽のミニバンにギュウギュウ詰めに何人か押し込まれ、月島の練物工場へ連れて行かれる。練り物の配送仕分けなどをして、早朝4時頃中型トラックの貨物室に閉じ込められて再び築地場内に戻り、仕分け作業や場内配送をして8時に終了するという仕事であった。練物屋ではあったが、魚屋さんの話などをトイレなどで盗み聞きしたり、場内の様々な場所を見たり、またしても盗み聞きしたりしてかなりの勉強になったことは間違いないのだ。
練物屋で一緒に仕事をする仲間は5-6名ほどだったが、いずれも年配のバイトであり、それぞれが訳あり風な人達ばかりであった。少林寺拳法と極真空手の両方を会得しているという55歳位の達人がいて、休憩時間にジャッキー・チェンのような凄まじい演舞を見せてくれたりした。格闘技好きの私は至極心を惹きつけられたが、この人はいつも『カップ焼きそば』をお湯を切らずに食べる人で、「あの、◯◯さん、それ、お湯を捨てるんですよ」と私が言うと「いいの、いいの!」って、めちゃ美味しそうに食べていた。要するに、かなりのパンチドランカー(殴られすぎちゃった人ね)であったのだった。まあ、まさに『苦役列車』(芥川賞作家・西村賢太)のような環境に近かったのである。
朝8時に仕事が終わった後は、比較的正気な仲間のおじさんに、場内の呑み屋でビールの大瓶と煮魚などをごちそうになったことも何度かあった。今は市場内の飲食店はまるで観光地化されているが、昔は場内で働く人や料理屋さんのためにあったのだ。サラリーマンが早足で会社へ出勤する中、朝日がアスファルトをキラキラと照りつける銀座の道を、皆とは逆方向にひとり赤ら顔で、しかも千鳥足でふらつきまくる大学四年生まるお青年であった。
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