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『初めてのシャンパーニュ』

 久しぶりのコラムになってしまった。コラムが書けなかった理由には、まさに私のシャンパン好きの原点ともいえる思い出があったのである。

 シャンパンの定義はいろいろあるが、とりあえずシャンパーニュ地方で造られた発泡性ワインのみシャンパンと名付けることが許されている。だから、なんでもかんでも泡の出るワインをシャンパンとかシャンペンとか呼んではいけない。シャンパンでないものはスパークリングワインという。

 『シャンパンちょうだい!』とソムリエに言って注文すれば、当然シャンパンが出てくる。シャンパンはそれなりに高額なので、店によってはグラスで一杯何千円もするようなものが出てくる場合があるから私のような貧乏人は気をつけなくてはいけない。単に安い発泡性ワインが飲みたいのであれば、スパークリングワインと言わなければならないのである。ソムリエは心のなかで『ケチ!』と叫ぶかもしれないが、シャンパンでないものの中でも、クレマンやフランチャコルタやカヴァなどに美味しいものはたくさんあるから、そこはソムリエの力量を試しているのだと自分の貧乏さを庇うが良い。

 私が初めてシャンパンというものを認識して飲んだのは、もうすでにフランス料理研究家であった20歳くらいである。私は東京の大学に在籍していた。ある日、母親が妹と共に東京に訪ねてきて、食事をご馳走してくれるという。私は当時オープンして間もない銀座1丁目のフランス料理店『ペリニィヨン(現ドンピエール)』に行きたいと強請った。1984年開業のペリニィヨンは、当時『グルマン』で三ツ星のレカンとドゥ・ロアンヌの伝説のメートルドテル(給仕長)ふたりに、フランスから帰国したばかりのサービスマンとソムリエを迎え、4人のサービス担当が始めたレストランである。今も昔もシェフが独立して店を開業することは多いが、サービスマンが良いサービスをしようと店を立ち上げるのは珍しい。私はその完璧といわれるサービスを見たくてしかたがなかったのだ。

 当時、何かの祝いも兼ねていたのか、ワインはシャンパンで通すことにした。ソムリエに料理に合うシャンパンをお願いした。提供されたシャンパンの銘柄は、『アンリオ(HENRIOT BRUT SOUVERAIN)』であった。アンリオ家は17世紀からワイン造りに携わり、200年以上家族経営を行っている老舗のシャンパンメゾンである。フランス帰りのソムリエは、シャンパンと安いスパークリングワインの見分け方を教えてくれた。

 「シャンパンはフルートグラスに注ぐと、グラスの底の真ん中から真っ直ぐに一筋の泡が静かに立ち登ります。一方、安いスパークリングワインは、泡がグラスの外側に乱雑に広がってしまうのです。シャンパンはこの繊細な泡を楽しむことも魅力のひとつなんですよ。」

 メイン料理は『松阪牛ヒレ肉蒸し焼き2種類のソース』であった。この料理は、蒸し焼きという名前がついていて、一応ステーキなのに焼色がついておらず、絶妙な火加減でミディアムレアに蒸された繊細な味わいのものであった。アンリオの複雑で力強く、そして繊細さを兼ね揃えた味わいにはよく合っていた。

 さて、実はその母親が昨年10月に他界してしまった。癌であった。父親抜きで食事をしたのは実はこのペリニィヨンが最初で最後だったかもしれない。あの時のアンリオの味を覚えてくれていたかどうかわからないが、もう一度元気を取り戻して一緒にシャンパンが飲めたら良かったのに。

 コラムが久しぶりになってしまったのは母親の死もあるが、その後すぐに、私が血液検査で異常が見つかり、原因不明の腎機能の低下により悪性リンパ腫や癌の転移が疑われて、過酷な検査が始まってしまったからである。CT、MRI、PETは寝ているだけで済むが、膀胱癌も疑われたため膀胱鏡検査をしたが癌は見つからず、翌日から三日間、ちんちんから血を出しながら富山へ仕事に行った。帰名後、局部麻酔で鼠蹊部を7cmほど切開手術しリンパ組織を取り出したが、やはり癌は見つからなかった。手術中に若くて可愛い看護師さんが痛そうな私に「だいじょうぶですか?」と訊くので、「つらいから手を握ってくれ」と言いたかったが小心者のまるおは言い出せなかった。

 ついには、全身麻酔で腹部を10cm以上切り、同様に深い部分のリンパ組織を取り出した。あらためて膀胱鏡で膀胱の組織も取って検査したが癌は見つからなかった。手術後ちんちんに管を入れられていたが、抜くときは若くて可愛い看護師さんが抜いてくれ、頬をぽっと赤らめた。悉く八事日赤の看護師はみんな若くて可愛いので、入院中は術後の痛みも和らいだ。年寄の看護師には少々冷たくあたっていたかもしれない。もうしわけない。

 結局は免疫性の疾患と診断され、投薬により完治することが判明した。実は同じ類の病気を幼稚園児の時にしており、55歳にして幼稚園児帰りをしたまるおであった。『名誉唎酒師のばかやろう!』を読んでいただいた方は「あれか!」と思われたかもしれない。そう、あの『急にデブ』になった病気であり、あれが薬の影響だったことを考えると、今から投薬が怖すぎる。来月くらいに超デブになった私を見に来てね。

 

 母親は癌で死んだが、天国から私の癌を消してくれたのかもしれないと、シャンパンの泡をじっと見て想うまるおであった。