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『どの娘と行った?銀座ロオジエ』

 大学4年生の時、築地市場内でアルバイトをしていた。飲食に携わると決めた時にプリンスホテルの総料理長に『築地で勉強してきなさい!』と言われたのがきっかけである。誠に素直なまるおである。

 夜の12時ごろ、終電近くの中央線に乗り東京駅からブラブラあるいて築地場内に出勤する。バイト仲間のおっさん達と共にすぐに軽のミニバンに押し込められ、月島の練り物工場へ連行される。倉庫で商品の仕分け作業をしたあと、早朝4時頃、中型のトラックの真っ暗な荷台に竹輪やはんぺんと一緒に閉じ込められて、築地市場内に戻り、梱包作業やら場内の配達などをして8時に仕事が終わる。バイトのおっさんと場内の食堂で煮魚などをつまみながら、ビールの大瓶で一杯やって帰るのが日課であった。お日様が照りつける中、颯爽と速歩きするサラリーマンと逆方向を赤ら顔でフラフラ歩く。銀座5丁目のソニービルにあるマキシム・ド・パリを通り越し、4丁目のミキモトビルのレカンのメニューを物欲しげにジロジロ眺めたあと、当時京橋にあったシェ・イノの真っ暗な店内を覗き込んでから東京駅まで歩いて帰路につくのが日課であった。昔、『グルマン(見田盛夫・山本益博共著)』というフランス料理レストランを星1~3つで紹介するミシュランみたいな本があった。そこに掲載されている三ツ星レストランを巡っていたのである。アピシウス、シェ・イノ、トゥール・ダルジャン、マキシム・ド・パリ、レカンの5店舗が三ツ星で、トゥール・ダルジャン以外は銀座地区にあった。結局マキシム・ド・パリとレカンは玄関を眺めていただけで、食事はしてない。一度でいいから城悦男シェフの料理を食べてみたかった。城悦男氏は現在六本木・ヴァンサンのオーナーシェフだから食べられるんだけどね。

 大学を出てから、再度銀座と縁ができた。株式会社東急ホテルチェーンに入社し、銀座東急ホテルに配属になったのである。田舎者の私は銀座で働いているということに相当舞い上がった。ホテル勤務は日曜日も出勤する。毎週日曜日の朝はご自慢の自家用車『スープラA70』で中央フリーウェイをポルシェと競争し、築地市場近くの路上に止める『銀座自家用車出勤』をしていたのである。銀座には日曜日なら路上に駐車できる場所が存在したのだ。『俺は銀座へ車で通勤してるんだ!』という訳のわからない妙な優越感を持っていた。そんな気持ちもあってか、特に春先の日曜日の朝は爽やかで、静謐な東銀座の料亭街を通り抜けて、日産自動車本社の前の柳は涼しげに風になびいている。

 さて、今銀座でフランス料理といえばやはり『ロオジエ(L‘Osier)』であろう。1973年に開業した資生堂グループのレストランである。ロオジエとは柳を意味する。2008年から改装休業前の2010年までブルーノ・メナール氏がミシュランで三つ星を獲得し、その後、あの有名な『タイユヴァン』で修行し、『ピエール・ガニェール』でシェフを務めたオリヴィエ・シェニョン氏の元で、2019年から再び三ツ星に輝いている。

 ロオジエは現在、新装オープンして銀座7丁目にあるが、かつては8丁目の資生堂パーラーの7階と8階にあった。たしか7階が『バー・ロオジエ』で、こちらでアペリティフ(食前酒)としてカクテルを呑んでから8階のレストランに移動するのが通であった。当時のバーテンダーはあの上田和男氏で、氏は数々のオリジナルカクテルを造り出し、多くのコンクールに入賞した世界的な伝説のバーテンダーである。メニューにはカクテル名がついておらず、簡単なレシピと共に『ナンバー○○』という名前でメニューに載せていたと記憶している。またそれが何ともオシャレであった。上田氏は現在、『銀座TENDER』でオーナーバーテンダーとしてシェイカーを振っている。

 私が訪れた1986年から2005年頃まで、ロオジエのシェフは、あの『ジャック・ボリー氏』であった。彼は、ラ・ベル・エポックの料理長時代に、MOF(フランス最優秀職人賞)を受賞した。フランスでMOFといえば、料理界の人間国宝みたいなものだ。その後、ホテル・オークラ料理長のあと、フランス・ニースでレストランを開店したが、やはり日本で料理を作りたいとの思いで、ロオジエのシェフとして日本に帰ってきた。元々ロオジエはクリームやフォンドボーなどを多用していたキュイジーヌ・クラシック(伝統的なフランス料理)で重い料理であったが、ジャック・ボリー氏がこの店の料理を繊細なヌーヴェル・キュイジーヌ(新しいフランス料理)に変化させた。彼の料理は、素材の香味を活かしており、爽やかでエレガントでそして見た目に美しい料理であった。

 当時はとにかくジャック・ボリー氏のロオジエに行きたいとの思いが強すぎて、実は誰と行ったのか全く覚えていない。東京ベイホテル東急のあの娘か、羽田東急ホテルのあの娘か、銀座東急ホテルのあの娘……ではないなあ。バーでアペリティフを呑むくらいだからある程度お酒の強い女性を誘って行ったのではないかと思うのだが。