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『もう無いから言える柳橋市場の闇』

 名古屋駅の東側にある柳橋中央市場は、水産ビル、水産第2ビル、マルナカビル、丸綜ビルを中心として、鮮魚、野菜などの仲卸や食材などを扱う数々のお店があった。今はマルナカビル以外はすべて閉館してしまい、多数の店が撤退したため、飲食店などの仕入れは日比野市場や北部市場を利用することになり、客が激減している。

 毎朝市場で一番に出会うのが伏見にある居酒屋・大甚の大将である。大将の孫と私の三男が同級生で友達ということもあったり、大将が万博好きで、毎週のように会場で顔を合わせていたから、一番仲良くさせてもらっている同業者である。大将はいつもピチピチの短パンに下駄履き、大きな籠を背中に背負い、真冬でもアイスクリームを食べながら歩いていて、私が「おはようございます!」というと、「おっはよぉー!」と元気よく返してくれる。で、私の市場の買い出しが始まるのだ。

 我々は一般の客を素人さんと呼ぶ。我々は毎日市場に行くが、素人さんは大晦日が近くなる頃にだけ柳橋に押し寄せる。飲食店が使わないで捨てる部分のマグロの尻尾をマグロ屋が一年間溜め込み、この日とばかり並べて高値で販売する。マグロ屋だけではない。すべての店の品質が普段より悪く、我々が買わないような高値で販売される。ちなみにマグロの中落ちなんて、欲しけりゃあんなもん我々にはタダでくれるが、素人さんには高く売りつけている。ちなみに私は、中落ちはまずいのでタダでもいらない。何でも骨の周りが美味いというのは迷信である。本当に美味しいのならマグロ屋が普段から高く販売するであろう。

 一時期、中国人が市場で魚に触ることが問題になったことがある。衛生上の問題などと言っていたがそれは真っ赤な大嘘で、あれは良いものだけとられたくないからなのである。魚でもカニでもイカでも触らなければ品質が分からない。良いものと悪いものを見分けて、良いものだけ買っていかれると魚屋は困るのである。私も活アジ、ワタリガニ、イカなどを念入りに選んでいると魚屋が血相を変えて、「ケンチャン!ちゃんとボクがやっておくから!まかせといて!」と焦った様子で言うので、「だめだ!信用できん!」と、毎日のように言い合いしたりしていた。活アジは頭を掴んで振ってみなければ身が生きているかどうか分からないし、ワタリガニは裏返してみなければ、脱皮前なのか脱皮後なのかわからない。脱皮前のほうが身の入りが良い。

 仲卸は、素人にはめちゃくちゃ厳しい。プロと素人じゃ値段も態度も全く違うし、またプロでもスキルによって違う。特に気をつけなければいけないのは、水や氷に浸かったカニや魚など、計量のときにわざと水(氷)を丁寧に切らずに、水(氷)も値段に入れている場合がある。また、魚を捌いてもらったり、イカをはずして(分解して)もらったりすると、計量がわからなくなり、本来タダであるはずの捌き料を上乗せしてとられることがある。だから、水切りをしっかりとやるかどうかじっと見張ったり、捌く前の計量をしっかり見ておかなくてはいけない。魚屋は本当に気が抜けないのだ。

 八百屋は魚屋以上に曲者だ。野菜は必ず腐りそうなものから売ってくる。自分で野菜を選ぶ場合は問題ないが、電話やFAX注文などで配達してもらう店は注意が必要である。まず間違いなく悪いものが配達されてくる。そういう場合は、電話して「モノが悪いから取りに来てくれ!」という。それを何回か繰り返すと、悪いものを入れなくなる。この店に悪いものを入れると面倒くさいということを学習するからである。正月明けは特に注意で、新年早々の入荷は少ないため、まず100%年末に残った野菜を店頭に出している。心ある八百屋は安い値段をつけているが、悪どい八百屋は品不足を利用して、むしろ高値で販売する。また、フルーツは見た目は新鮮でも、裏側が腐っていることがある。さくらんぼのような箱ものは裏からみる。桃やマンドーなどは取り出して裏側もみる。魚屋も八百屋も人が良さそうな業者は要注意で、なぜか人が悪そうな業者のほうが誠実だったりするので難しい。

 市場には時々事件がある。いきなり魚屋が夜逃げしていたり。店主が病気で倒れたり死んだり、時には喧嘩もあり、救急車は毎日のように来る。5年位前のある日、70歳の魚屋が軽トラで人を引き、1.5キロ引きずって柳橋市場に到着した。他の魚屋がそれを見つけて「人を引きずっているぞ!」と犯人の魚屋に言ったら、人差し指を口に立てて「しーっ」と言ったとか。警察の調べに犯人は「何かにぶつかったが、人だとは思わなかった」だって、嘘つき。 

 白鷺の姉御と呼ばれ、大相撲名古屋場所の花道近くに毎日違う着物を着て座っている極道の妻みたいなおばさんを知っているだろうか。獄中の夫にメッセージを送っていると話題になった事がある。実際そのおばさんは、極道の妻などではなく、水産ビルにあった鶏肉屋の女将で、我々は『鶏屋のくそばばあ』と陰で呼んでいた。鶏肉を買いに行くと「おーう!おっはよー!」と九官鳥のような口調で挨拶されるが、『こっちは客だぞ、おーうとはなんだ!くそばばあ』と皆心で思っていたが怖いので黙っていた。このばばあの孫が優秀で、青山学院大学の三代目山の神である神野大地君だということはあまり知られていない。孫を褒めてやるとものすごく喜ぶので持ち上げるだけ持ち上げるが、こっちは『本当は青学なんか大嫌いだ。少しでもいい鶏肉よこせよ!ばばあ』と思っているだけなのであった。この店は特にブランド鶏肉でもないのに結構高い。柳橋に鶏肉屋は何軒かあって、ある別の鶏肉屋の娘がミスなんちゃらになったとかで、実際に物凄く可愛い女の子が店頭で鶏を売っていた。正直、鶏屋のばばあには頭にきていたので、そっちのかわいこちゃん(死後)のいる鶏肉屋にしばらく通っていたっけか。暫くしてその店も無くなっちゃって、結局ばばあの鶏屋に戻ったら「おーう!久しぶりぃ!何しとった!」と言いやがった。 

 仲卸の市場といえば、築地市場のように場内や場外に新鮮な魚を食べさせる店が多数あると思っている人が多いが、残念ながら柳橋市場に美味い魚を食わせる店は殆どない。友達が朝御飯目当てに市場に来て、私にお店を紹介して欲しいと言われても、たいした店がないので申し訳なく感じていた。我々としては「市場の食いもんは不味いけど、腹が減るから仕方なく食うか……」という程度の感覚である。その仕方ない中でも毎日のように行く店がいくつかあった。もう閉店しているから良いも悪いも正直に告白する。

 一通り買い物を済ませると、魚や野菜などを車に積んでもらうまでに時間がかかる。その時間は、皆食事をしたりコーヒーを飲んだりする。私はまず陶器や漆器を売っている器屋さんに行く。器屋の兄ちゃんが抹茶を立ててくれて、市場の裏情報などの意見交換をする。たまに話の流れに乗せられて器を買ってしまうので、抹茶代がえらく高くついたりする。まあそれが器屋の巧妙な手口である。

 20年くらい前まで水産第2ビルの前には串カツと土手串の露天があって、外で立って食べるのが楽しみだった。ホルモンの土手串と揚げたての串カツを土手味噌につけて食べる。まだ飲酒運転に厳しくなかった頃は、従業員3人くらいと一緒にビールを1本飲んでいた。柳橋市場にある魚屋の会長がいて、当時80歳くらいだったが、若い頃から喧嘩が滅法強そうな風体で、ラスボス感を漂わせていた。毎朝恐ろしいほどのオーラを発しながら土手屋にやってくる。我々が一斉に「おはようございます!」と言うも会長は全く無言である。土手屋がいつものようにポットからガラスコップに燗酒を満たすと、会長はすぐさまキューっと一気に呑み干して、何も食わずに金も払わずに黙って去っていく。あの酒の呑みっぷりは実に惚れ惚れとした。あんな呑み方が似合う大人になりたいと今でも思っている。

 前にもエッセイに書いたが、『かつや』というカウンターだけのトンカツ店があった。ここは料亭の料理長も常連だったりして、私が機嫌よく挨拶するとたまに奢ってくれたりした。カウンターの上に魚や野菜などの食材が並んでいて、目の前で天麩羅やフライを揚げてくれる。私は決まって「メジロ(マアナゴ)とアカシャ(赤車海老)を天ぷらで!」と注文する。冬はカキフライが最高に美味い。ほかに、トンカツ、串カツ、ラーメン、カレー、トンテキ、目玉焼き、オムレツ、納豆、豆腐、惣菜などが沢山ある。メニューになくても言えばたいていのものは作ってくれる。時々貧乏で480円のラーメンだけを食うことがあるが、『スープちゃんととってんのか?おい!』という味であまり美味しくなかった。加えて、味噌カツ、味噌串カツは不味かった。味噌だれを鰻屋ように継ぎ足しで作っていて、鰻のタレとは違って赤味噌がエグくなり、苦味と焦げ臭だけを感じて味噌の旨味がまるでない。味噌食っているんだか、焦げ汁食っているんだか。これは有名な味噌カツ丼の店も同じ。鰻屋を真似してなぜ味噌ダレを継ぎ足しで作るのか意味不明である。

 美味いうどん屋があった。3人姉妹と思われるおばちゃん達がやっていた。ころうどん(冷たいぶっかけうどん)は、コシがあって口の中で吸盤のようにくっつき、モチモチしていて美味かった。冬は鍋焼きうどんが定番であった。ご飯に鍋焼きうどんの半熟卵をのせて食べていた。ある朝、鍋焼きうどんを食いに行ったら、店が火事で焼けていて跡形もなかった。まさかうどん屋ごと焼けたとは。

 蕎麦屋もある。以前、美味いが昼前になると必ず腹の調子が悪くなるラーメン屋があった。湯切りの様子がハゲタカが羽をバタバタする様で微笑ましかったが、閉店した。その跡地に『さらしな』という蕎麦屋ができた。ざるそばの汁がめちゃ甘くて、これは何系なんだろう?これが更科系なのか?という蕎麦なのだが、結構その甘さが癖になって病みつきになってしまうのである。ここはカツカレー丼も凄く良い。豚肉が沢山入ったカレーがトンカツの上にかかるというダブルポーク丼である。さらしなは今もマルナカビルに存在する。

 喫茶店も何軒かあった。コーヒーの旨い店は特になく、どこも泥水のようであった。いつも行く喫茶店では、超デブのおばさんが巨体を揺らしながら、狭い通路を横になったり縦になったりしてオーダーを聞きに来てくれた。目玉焼きがのった焼きそばやチャーハンが美味かった。デブのおばさんが鼻息荒く世間話をしてくるが、なぜデブはあんなに声が大きいのだろうかといつも考えていた。

 ある時、テレビを見ていたら、別のある喫茶店のカレーが美味しくて評判だという。秘伝のスパイスで作り方は秘密だとか。でも柳橋関係者なら皆知っている。その店のカレーは、ただ業務用の缶を開けて温めているだけだということを。大抵、秘伝とか秘密という場合は、業務用の既製品を使用している。化学調味料、スープ、各種ソース、ドレッシングは当たり前で、冷凍食品などは完成品も販売されていて、解凍してパックを開けるか簡単に温めるだけで会席料理のフルコースが作れる。ある日、1人前パックの業務用松茸の吸い物を大量に買っている和食店があり、何に使うのか訊いてみたら、ランチの吸い物に使うという。また、中国で蒲焼きに味付けした冷凍鰻をランチに使用している名の知れた鰻店もあった。勿論こういった店は真実を公表していない。 

 さて、帰ろうと車に戻ってみると、ほぼ毎日のように『待ち伏せ』と『押し売り』というのがある。待ち伏せは、私の車の前で魚屋などが待っていて、あれ買ってこれ買ってと言ってくる。たいてい鰻屋か鮑屋か八百屋である。その場で値段の交渉をして安ければ買う。一方、押し売りというのは、車の中に勝手に魚などが積まれていること。店に帰ってから気付いて電話して、「買ってないが、これはプレゼントか?」と言うと、「たのむ!たのむで買って!」と泣かれる。安く値段交渉すると「そんなんあかん!」と逆ギレしたり、また泣き出して「そんな相場は無理だてぇ、頼むで助けてぇ!」と言う。「もういいわ、いらないから、取りに来て!とりに来なかったら、金は1円も払わんから」と冷たく突き放すと、ちょっと不貞腐れた様子で「わかった、わかった、もうケンチャンの言うとおりにする!」となる。


かつや外観

かつや店内

かつや・天ぷら

さらしな・ざるそば

さらしな・カツカレー