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『1964とは』

 1964年(昭和39年)……まるおの生まれ年である。この年、世界初の高速鉄道である東海道新幹線が開業し、アジア初のオリンピックとなる東京オリンピックが日本で開催された。誠にめでたい年である。一方、みんなが親に隠れて愛読していた名週刊誌「平凡パンチ」が創刊されたエッチな年でもある。

 同級には近藤真彦がいる。近藤真彦と私を比べて嘲笑する人がいるが、でもね、同い年には俳優のぬっくんこと温水洋一もいるんだよ。

 酒の世界では、日本麦酒がサッポロビールに社名変更した。大関酒造が業界初のコップ型ガラス瓶入り日本酒「ワンカップ大関」を発売。そしてニッカウヰスキーが「ハイニッカ」を発売し、サントリーが「サントリーレッド」を発売したという。そういえばサントリーレッドには思い出がある。昔うちの店の料理長が毎日仕事終わりに従業員食堂で大きなペットボトルのサントリーレッドをロックで飲んでいた。「専務(まるおの事)もどうぞ」って同じロックを作ってくれて、一緒に飲みながら料理の話を中心に様々な話をしていた。料理長がサントリーレッドを呑みながらいつもいう口癖は「千丈の堤も蟻の一穴から」というものだった。どんなに堅牢に築いた堤でも、蟻が開けた小さな穴が原因となって崩落することがある。つまりは、どんなに巨大な組織またはしっかりした組織でも、些細な事が原因となって組織全体を揺るがすような深刻で致命的な事態に至る場合があるという意味だ。長らく経営者であった私はその言葉を今も大事に胸にとどめている。料理長はその後在職中に病気で亡くなっちゃったんだけど、素材を生かした旨い料理を作るいい料理長だった。そして私の事をいつも助けてくれるとても優しい人だった。合掌。

 ワインの世界では1964年は地域によって評価が分かれる年であった。シャンパーニュやブルゴーニュでは良年となった。ボルドーは冬は穏やかで雨が多く、春は温かく、夏は暑く乾燥した年だったので収穫前には最良の年になるのではないかと予想されていたが、残念なことに収穫時期に洪水になるほどの大雨が降り果汁が薄まってしまった。メルロやカベルネ・フランは元々収穫の早い品種であることから大雨の前に収穫ができたので、ボルドー右岸(サンテミリオン、ポムロール等)は凝縮感のあるパーフェクトなワインが多く産出された。しかし、収穫の遅いカベルネ・ソーヴィニヨン主体の左岸(メドック等)は収穫時期に長雨が振り続き悲惨な出来となった。特に酷かったのがソーテルヌ地区で、豪雨と洪水でほぼ全滅状態になった。当然あの甘口白ワインの最高峰・シャトーディケムはこの年は造られていない。

 しかしながらボルドー左岸でも雨が降る前に収穫した奇跡的なシャトーがあった。それはシャトー・モンローズである。メドックのワインが悉く低評価の中、 1964年のモンローズだけは最も偉大なヴィンテージの一つとなっている。

 シャトー・モンローズはメドック格付け第2級のサン・テステフ村のシャトーである。ジロンド河を望む壮大な景観に恵まれた高台に、モンローズは質素なシャトーを構えている。かつてその土地がヒース(秋に花を咲かせるエリカ属の植物)に覆われていて、開花すると一面が薔薇色に染まったことから、モン(山)ローズ(薔薇)と名付けられた。その品質の高さからサン・テステフのラトゥールと呼ばれている。

 サン・テステフのワインはシャトー・コス・デストゥルネルもそうだがボルドーの中では力強いワインとされている。モンローズも1972年以前は何十年も寝かさなければならない濃密で力強いワインとして知られていた。ところが、シャトーの所有者であるジャン・ルイ・シャルモリュは頭がおかしくなったのか1972年から1988年までメルロの比率を多くして軽いタッチのワインに変えてしまった。当たり前のようにモンローズファンはこの変化を断固として許さず、評価は地に落ちた。そのためジャンは1986年以降から再び力強く筋肉質なスタイルに戻した。ばかでしょ?

 15年ほど前だったか1964年のモンローズを手に入れて自分の誕生日に飲んでみたが、まだまだ若々しい果実味が残っていてとても感動した覚えがある。そんな経緯もあってモンローズは私にとってクラレットの中では別格の存在であった。

 先日、銀座レカンを訪れた際に、ソムリエから渡された分厚いワインリストを眺めていたら、モンローズが思ったより安い。リストには75、89、95、98年があったが、75年は前述のように評価が低いので、最も飲み頃と思われる89年を注文した。89年もモンローズ復活の超偉大な年である。外観は濃くて暗いルビー色だが光を通すとキラキラしたクリアな輝きを放つ。黒い果実の力強い凝縮感があり、ハーブやショコラ、熟成によるトリュフ、土という複雑な香りが幾重にも折り重なる。上品な甘みとまろやかになっていくタンニン、長い余韻。非常に素晴らしいものであった。ロバート・パーカーJrも96点を付けている。

ヒース